創業物語・沿革

NIJIN HISTORY創業物語・沿革

国内外のあらゆる教育問題を、人を責めずに仕組みから解決し、教育から世界を照らす。
NIJINという会社は、どのようにして生まれたのか。
今の事業へと繋がる、創業からの軌跡をご紹介します。

小中学生時代

両親ともに教員という家庭に育ちながら、私が過ごしたのは「まともな公教育」とはほど遠い環境だった。小学校6年間で3度の学級崩壊を経験し、小6でようやく九九を覚えるほど勉強からは遠ざかっていた。やりたいことも自信もなく、学校の枠組みに違和感を抱えながら過ごす日々。一方で、放課後は地域の中で年齢も背景も異なる子たちと混ざり合い、ありのままの自分として過ごすことができた。

創業の原風景:YouTubeで見る

小中学生時代

高校時代

校則のない自由な高校に進学してからも、授業に意義を見出すことはできなかった。高校時代のある事故を機に、人生観が根底から覆る。目の前で後輩の命が失われたのだ。私は「残された自分の命を、誰かのために遣い切る」と魂に誓った。駅伝部のマネージャーとして、プレイヤーを支え、組織を動かし、学校史上初となる全国大会(都大路)へ導いた経験。この時培った、目的達成のための組織マネジメントの原風景が、今のNIJINを支える組織論の礎となっている。

高校時代

大学時代

大学の教育学部では、耐えがたい退屈を感じ、入学からわずか3週間で不登校に。添乗員(会社員)として、主にシニア世代のお客様(累計1万人以上)と全国・世界を飛び回り、お客様評価4.7という「トップ添乗員」の称号を手にした。現場で人々と向き合い、感動を創出するプロとして磨かれた感性と、当時の大学教育への強烈な悔しさが、「従来の教育学部とは全く異なる、本当に価値ある教員養成を自分の手で創る」という、今の事業への決意へとつながっている。

大学時代

2013

JICA海外協力隊としてグアテマラへ。人生で最も尖っていた時期で「狂犬」と呼ばれる。15市の教育長らと県の教員研修改革に挑戦した功績から中南米の教育専門家としてオファーを受ける。しかし、現地で目の当たりにしたのは、生まれ育った環境によって学ぶ機会そのものが左右される現実だった。この経験は、「どこに生まれても質の高い教育を受けられる社会をつくりたい」という原点となり、後の教育格差解決に挑む事業の礎となる。2年間の活動をまとめた「憂国」は千葉大学名誉教授明石要一先生から絶賛された。

2013年

2015

青森県八戸市(三八上北)の教員として勤務開始。制度・マニュアルは整っている反面、教師も子どもも自分を出せていないことに危機感をもつ。画一的な教育の中で個性が埋もれていく姿を目の当たりにし、「学校が合わない子も自分らしく輝ける場が必要だ」と痛感。この問題意識が、後にNIJINアカデミーの創設へとつながる原点となった。

2015年
学校に合わないだけで、本来明るくない子どもなんていなかった

2020

教員をしながらコロナ禍で経営危機に直面していた創業100年超の老舗旅館「新むつ旅館」をボランティアで支援。80歳の女将と二人三脚で運営改善や情報発信に取り組み、旅館再生に貢献した。その実践は地方創生の好事例として地元紙の一面に掲載。人や地域に眠る可能性を見出し、周囲を巻き込みながら新たな価値を生み出す経験は、後の教育事業づくりにも大きな影響を与えた。

2020年
“みんな幸せになるために生まれてきたの” 女将の言葉を今も大切に

2021

「遊び相手が親ばかり」という子育ての課題を解決するため、八戸公園および八戸短期大学と協働した異年齢×外遊びの休日「星の遊び塾」を立ち上げ、運営。

2021年
社会課題は仕組みで解決することができることに気付く

2022

教育は国づくり。誰もがこの国の教育に希望が持てる未来をつくるため、教員を退職し株式会社NIJINを設立。授業てらすは初年度から400名を超える団体となる。

2022年
教員の学び方をイノベーションし日本最大級の教師団体となった

2023

既存の教室をHAPPYにし続けると同時に、学校に合わない子どもに学ぶ楽しさと居場所を約束するためにNIJINアカデミーを設立。メタバース空間に小中学校ができる。

2023年
開校2か月で100名を突破!子どもの成長に毎日感動している

2024

NIJINアカデミーのリアル教室を開校。さらに、初の著書となる「教室の心理的安全性」を出版し、新しい教育の在り方を全国へ発信。

2024年

2025

日本初となる、公教育を持ち運び可能にした「多様性×社会共創モデル」が、内閣総理大臣奨励賞をはじめ、青年版国民栄誉賞日経ピッチ優勝など、教育界のイノベーションとして社会的に高く評価される。

2025年