秋田県の小さな町で育ち、両親の離婚や転校を経験した兼田綾子さん(通称:やこたん、39歳)。特別支援学校の教員として13年間、知的障害、肢体不自由、重度心身障害、発達障害など、さまざまな子どもたちと関わってきました。退職後はカウンセリングとコーチングを学び、HSP/HSC(繊細な人や子ども)の啓発活動団体を立ち上げ。現在はNIJINアカデミー青森浪岡校の教室長、専任サポート、県立高校のスクールカウンセラー、そして個人のファミリーコーチとして、子どもと保護者に伴走しています。「孤独の中にいる子どもの本来の力に、『わお!』と驚ける仲間を増やしたい」——そんな想いを胸に働く、やこたんの物語を聞きました。
これまでの経歴・プロフィールを教えてください
兼田綾子(かねだあやこ)、39歳です。通称は「やこたん」。秋田県の小さな町で育ち、両親の離婚や転校を経験しました。特別支援学校の教員として13年間、知的障害、肢体不自由、重度心身障害、発達障害など、さまざまな子どもたちと関わり、地域を巡回して教育相談をする業務にも携わりました。
退職後はカウンセリングとコーチングを学び、HSP/HSC(繊細な人や子ども)の啓発活動団体を立ち上げました。現在はNIJINアカデミー青森浪岡校の教室長、専任サポート、県立高校のスクールカウンセラー、そして個人のファミリーコーチとして、子どもと保護者に伴走しています。
いまは、どのようなお仕事をしていますか?
火曜日は、NIJINアカデミー青森浪岡校の教室長として、一日中子どもたちと過ごしています。料理やものづくりをしたり、地域へ出かけたり、メタバースで全国の仲間とつながったり。教室の中だけにとどまらず、地域全体を学びの場にしています。
週のうち二日ほどは、専任サポートとして8名の子どもたちと、一対一で代わる代わる面談しています。小説が好きな子とは一緒に物語を書き、手芸が好きな子とはマフラーのようなものを編む。何かを教えるというより、その子の好きな世界に入れてもらう時間です。
そのほか、週に一日は県立高校のスクールカウンセラー、もう一日は個人のカウンセリングやコーチングをしています。場所や立場は違っても、「一人ひとりの声を聴き、その人が持っている力を一緒に見つける」という軸は、すべての仕事に共通しています。
ニジンで働きたいと思ったきっかけは?
子どもの頃の私は、秋田県の小さな町にある、一クラス20人前後の小学校で育ちました。出会える人や体験できることが限られた環境の中で転校も経験し、新しい居場所をつくったり、人間関係を広げたりすることに難しさを感じていました。
最初は保健室の先生になって、人の話を聴く仕事がしたいと思っていました。その後、高校時代に自閉症を扱ったドラマを見たことをきっかけに、特別支援教育に興味を持ちました。教育実習では、大勢の子どもに一斉に教えるよりも、一人の子と深く関わり、その子に合う方法を一緒に探したいと感じました。
特別支援学校で過ごした13年間は、本当に面白かったです。子どもたちは、「うれしい」「楽しい」「悔しい」「分からない」を全身で表現してくれました。一人ひとりがとても個性的で、その子に合う方法をチームで考える毎日には、大きなやりがいがありました。
だから、学校に不満があって辞めたわけではありません。自分自身の生活や家族関係に変化があり、初めてカウンセリングやコーチングを受けたことが転機になりました。「私はこれから、どんな人生を生きたいんだろう」「まだ挑戦していないことがあるんじゃないか」と、自分の人生を見つめ直すようになったんです。
約一年迷った末に退職し、個人で不登校の子どものメンタルサポートを始めました。けれど、話を聴くだけではなく、その子ともっと面白い活動をしたい。一人の支援者が一人で支え続けるのではなく、その子の力が自然に発揮される環境をつくりたい。そう考えていたときに、青森県内で校長をされていた方から、NIJINアカデミーを紹介していただきました。
実際にメタバース校舎へ入って、「パソコンの中に、こんなに面白い世界があったんだ」と驚きました。全国のどこに住んでいても仲間ができる。学びにも向き合えるし、社会ともつながれる。地元で出会える人や体験が限られ、転校後の居場所づくりにも苦労していた、子どもの頃の私が欲しかった環境でした。
そこから夢中で働き、青森浪岡校は開校から8か月ほどで満席になりました。その頃から、オンラインで子どもと一対一で関わる専任サポートにも携わるようになりました。
ニジンで働いて一番心動かされた出来事/エピソードを教えてください
NIJINに入る前から、個人でサポートしていた子がいました。その子は学校が怖くて、泣いてしまうこともありました。私一人で話を聴きながら、「この子に、もっといろいろな人や活動と出会ってほしい」と思っていました。
その後、私が青森浪岡校を開校し、その子もNIJINアカデミーへ入学しました。料理が好きだったその子は、少しずつ地域へ出るようになりました。子ども食堂のお手伝いをしたり、地域のお弁当屋さんと一緒に、老人会のお弁当のメニューを考えたり。好きなことから人とつながり、役割をもらい、自信をつけていく姿を見て、「環境の力って、本当に大きいんだ」と感じました。
もう一人、専任サポートで出会った子も忘れられません。心の調子を崩し、半年以上、保護者以外の人とはほとんど話していませんでした。学校へも行かず、外出するのは病院へ行くときくらい。面談を始めてからも、ずっとカメラはオフでした。
ところがある日、その子が自分からカメラをつけ、飼っている猫を見せてくれたんです。猫と遊ぶ様子を、しばらく画面に映してくれました。保護者の方も、「嫌がらずに、自分の姿を出すようになったんですね」と驚いていました。
ただカメラがついただけに見えるかもしれません。でも私には、その子が社会との間に、細い糸を一本結び直した瞬間のように見えました。
仕事のむずかしさややりがいについて教えてください
オンラインでは、カメラがつかなければ表情が見えません。マイクが入らなければ、声の調子も分かりません。約束の時間になっても画面に現れない日や、用意したことが何もできない日もあります。
そんなとき、「どうしたら接続できるだろう」「もっと声をかけるべきか、今日は待つべきか」と悩みます。でも、学校の先生として上から教えるのではなく、まずは、ただ共にいることを大事にしています。
専任サポートを始める前は、一対一でじっくり話を聴く仕事だと思っていました。でも実際は、私が聴くというより、子どもに教えてもらうことばかりでした。小説、イラスト、手芸、ゲーム。その子が夢中になっているものを見せてもらい、「へえ!」「わあ、すごい!」と驚いています。
私が大切にしているのは、「ワンダー」という視点です。その子が持っている力に、本気で「わお!」と驚くこと。不登校だから何もできないのではありません。好きなことや得意なことに向けるエネルギーは、こちらの想像を超えています。大人がその力に驚くと、子どもはもっと自分を見せてくれる。それが、この仕事の一番のやりがいです。
もちろん、一人では抱えません。保護者やスタッフとは、何度も作戦会議をします。地域の教室長と一緒にその子の興味を探ったり、授業担当の先生に興味に合う内容をお願いしたり、私も一緒に授業へ参加したりします。一対一のサポートですが、実際には、子どもを真ん中に置いたチームの仕事だと思っています。
これからニジンで挑戦したいことはなんですか?
これからは、子どもの居場所をつくるだけでなく、保護者にとっても「環境を変えるきっかけ」になるような場所を、NIJINの中につくりたいです。
親へのカウンセリングという形だけではなく、同じように悩んできた親同士がつながり、「うちの子だけじゃなかったんだ」「私たちの子育ては、これでいいんだ」と確かめ合えるコミュニティをつくりたい。そして、自分たちが暮らす地域でも、新しい教育の価値を一緒に広げていける仲間になれたらと思っています。
実は、私自身の娘も今、不登校です。周囲から「学校には行かせないと」と言われることもあります。でも、行けるなら、行かせられるなら、誰か代わりに連れていってくれよって、本気で思いました。どんなに声をかけても、どうやったって行けなかった。親が何かをして、簡単に解決できることではありませんでした。
娘の生活に合わせるために、私自身も、それまで担当していたスクールカウンセラーの仕事をいくつか手放さなければなりませんでした。子どもが学校へ行けなくなると、親の働き方や暮らしも変わります。きれいごとでは済まないし、親自身も社会から少しずつ離れていくような孤独を感じることがあります。
それでも今は、学校だけがすべてではないし、何よりも子どもが元気でいることが大切だと思っています。
だからこそ、親自身が「この子には、この学び方が合っている」「私たちの選択はこれでいい」と自信を持って言える場所をつくりたい。子どもだけでなく、親も孤独にしない。それが、これからNIJINで挑戦したいことです。
読者に向けてメッセージをお願いします!
子どもの力に、本気で「わお!」と驚ける。
そんな仲間を、NIJINは募集しています。
